第1話
70年代アイドルのスイムショーツ事情
本当に思いつくまま、思い出すままに書かせて頂きます。資料も大してないので不正確かもしれませんが。独り言だと思って下さい。だから、常体で書きます。
70年代のアイドルといえば、まず天地真理(ぐぷ!)かな。しかし彼女は当時水着になった事はないので、除外。アグネス・チャン、南沙織は水着の写真をいくつか見たが、いかにも当時の生地の厚い水着(今なら旅館の貸し水着だ)で、スイムショーツはしていなかったと思う。麻丘めぐみなどもLPのジャケットで水着姿になっていたが、今見ると、これはセーターか?と言いたくなる様な厚い素材だった。薄い水着だと今度は、スカート付きだったりした。
70年代も後半になると水着も薄くなってきて、スイムショーツも一般的になってきた。皆さん、早乙女 愛をご存じだろうか?例の梶原一騎の「愛と誠」の映画に主演し、役名を芸名にした女優だが、この娘はスイムショーツがよく透ける水着ばかり着ていた。わざと見せているのかと思うほどだった。いつも言う、フロントショーツライン(水着のヒップ側でなく、前側にスイムショーツのラインが浮かぶ事)を初めて見たのは、現実の女性を含めても、彼女が最初だった。確か「平凡」の75年(昭和50年)9月号だったと記憶している。
桜田淳子は何回か「平凡」、「明星」等の芸能雑誌のグラビアに白い水着姿を見せていた。当時は、透けない素材などないので、勿論スイムショーツ着用だったが、小さいというか、股上の浅いものをいつも着けていたなぁ。当時は普段穿くパンティもビキニの水着も、小さく浅いもの程良い(その割にサイドはヒモではない)といった傾向があったようだ。榊原郁恵がそんな浅いビキニ着用の代表格だったのだが、この頃、私が入手したスイムショーツもそんなタイプで、男にはとても穿けなかった。(ハッキリ言うと、睾丸しか入らなかった)
でも、70年代のアイドルといえば、山口百恵を忘れることはできない。無論、スイムショーツに関してである。
山口百恵はこう言っては失礼だが、新聞配達をして家計を助けていたような貧しい母子家庭の子供で、スクール水着以外の水着など着たことはなかったろう。ましてやスイムショーツなど。(当時、まだ学校では、特に女子には水着しか渡さない事も多かったのではないか?)だから芸能界に入ってからもスイムショーツ着用派ではなく、その代わり黒や茶の水着ばかりだった。
その百恵が白い水着を着たのだ。映画「エデンの園」で早熟な女子高校生を演じた時である。主人公が授業にも出ず、浜辺をぶらついていると若い教師(三浦友和ではない)がやってきて、「ほら、みやげだ、水着買ってきたぞ」、「本当、うれしい着てみる」と松林に入って服を脱ぎだすのである。(肩と背中が見えるくらいだが)松林からでてきた百恵は白い水着だった。その浜辺で撮影された、この映画のPR写真で、百恵は生涯で恐らくただ一回、スイムショーツが透けて見える水着を着けたのである。ハーフサイズ(腰骨の中程までの深さ)の白いポリエステルのスイムショーツだとはっきり分かった。
と、言うことはこの教師は水着と一緒にスイムショーツも店で買ったという事だ。そう考えた途端、自分でもスイムショーツを買っていた私は、女子高生に対する妄想に過ぎないこの物語を現実の物として受け入れた。林に入った少女は服を脱ぎ、下着まで取って、教師から受け取った「SWIM SHORTS」と書かれた箱から、ビニールの小袋に入ったスイムショーツを取り出し、後ろ前に穿かないよう前後を確かめてから穿き、そして白い水着を着たということになるわけだ。と、考えた時私の感じた、いやらしさがどんなものであったか、諸兄に説明は不要だろう。
次回「80年代編」に続く・・・かな?
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